謝罪コメント、変じゃないかなぁ……。

 「「残業100時間で過労死情けない」武蔵野大学教授のコメントに非難殺到 「考慮が欠けていました」と謝罪」という記事が、Yahoo! に掲載されていました。

 記事の内容は、電通の社員さんが亡くなったことが、過労死、労災として認められたということに対する意見を、武蔵野大学・長谷川秀夫教授がインターネットに投稿したコメントが炎上したことを伝えています。

「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」「自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず」


 という持論を展開されていたそうです。

 この持論を削除した後、

 長谷川教授は後にコメントを削除し、「言葉の選び方が乱暴で済みませんでした」「とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました」と謝罪のコメントをあらためてNewsPicksに投稿しました。



 のだそうです。

 ただ、私がひっかかったのは、

今の時代にその働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました


 の部分です。
 つまり、自分の意見は曲げないよ。
 でも、時代に合わないかどうかっていうのを判断ミスったよ、ごめん。

 っていうことじゃね? って。

 確かに、同じ100時間を超える残業をこなしている方は、相当数いるんでしょう、今の日本ですもの。
 私だって、以前田舎に住んでいたときは、月144時間くらいの残業をしていたこともありますし。
 お昼ご飯が、17時ころってこともあったし。

 けどね、それって、残業をしたくてしているわけじゃないし、していることが正しいとも思ってないわけですよ。

 ただ「報われる」とか、「お客さまの為になってる」っていう、「喜び」に通じる部分があるからこそ、乗り切れたっていうこともあるんです。
 会社が危ない人だって、「ここを乗り切らねばっ!」っていうこともあったり、一緒に活動してくれる仲間に支えてもらったりとかもあるわけでしょう?

 「鬱」になったり、「過労死」したりするのは、体が悲鳴を挙げているのに、心が悲鳴を挙げているのに、助けてくれる人がいなかった。
 助けてと言えない状況だったっていうことで。
 そのことを後悔している人だって、周囲にいると思うのです。

 そういう意味で、この炎上した記事の中で、

この国の少なくない老人が同様のことを考えてる、と思うとゾッとする


 というコメントが、その通りだな~って思うのです。
 根性とか、そういう問題じゃないんですよ、と。

 そして、インターネットっていうツールも怖いよね。
 削除したって、残っちゃうんだもの。
 しっかり考えて発言しないとね!(私もねっ!)と思うのですよ。

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