皆さんも、今までの人生で一度は金魚すくいをやったことがあるのではないでしょうか。
いえ、あんな残酷なことはしたことがないわっ! っていう方もいらっしゃるかとは思うんですけれど。
かと言う私も、小学校前までは何度か金魚すくいやってました。
金魚持ったまますっころんで、別の金魚屋さんに水入れてもらったり。
ただ、ちゃんとしたポンプとかを入れたりする知識がなかったので、すくった金魚も長生きはしませんでした。
今もまだ長生きさせているよっ! という、素敵な方はともかくとして、私と同じような経験をされた方は、金魚をその後どうしましたか?
私はお絵かき帳に、淋しくないように他の金魚さんの絵を描いて、その紙にくるんで、庭に埋めていました。
この好意を1度か、2度しかやった覚えがないので、多分金魚すくいそのものも、そのくらいの回数しかしてないと思うのですが。
その後は、あまりに金魚が可哀想なので、スーパーボールすくいか、ヨーヨー釣り専門です。
ところで、ある方がカナダで情操教育の一環かなにかで、「日本では金魚は埋葬する」=「命の大切さ、儚さに触れる」という論理で講演をされたそうです。
動物を飼うことで、命の尊さを学ぶ……というのは、一面では正しいと思います。
親が、阿呆で捨てたり、放置したりしてなければ、ね。
ところが、会場はぽかーん……。
あまりの反応のおかしさに、その方は聞いてみたそうです。
「カナダではどのようにするのか」と。
すると、なんと答えは……。
「トイレに流す」Σ(゜◇゜;) ゲッ
なのだそうですよ。
だから、何故日本人が金魚などをきちんと手厚く埋葬するのかが理解できなかったのだそうです。
(恐らく、その会場の大部分の方が。一部の方はわかったんじゃないかな、当たり前ですけど)
でも、カナダの人たちだって、犬や猫は、ちゃんとペット霊園みたいなところに埋葬したりするんじゃないの? って思うのです。
魚類は、別ってことなんでしょうか。
でも、少なくとも食べるために釣ってきたわけでもなく、飼おうと思って買ってきたんですよね? と思うと、魚類が除外される理由がわかりません。
とはいえ、トイレに流しちゃうっていう発想があるからこそ、下水道からワニが出たっ! とかいうニュースが聞かれるのかな……って、思わず納得してしまいました。
魚類だろうと、鳥類だろうと、ほ乳類だろうと、命はおんなじ。
一個しかないのです。
自分の都合で、その寿命を定めてしまったのなら、そこに感謝と哀悼の意をもって、丁寧に遇するのが筋なんじゃないのかな〜って思うんですけどね。
いえ、あんな残酷なことはしたことがないわっ! っていう方もいらっしゃるかとは思うんですけれど。
かと言う私も、小学校前までは何度か金魚すくいやってました。
金魚持ったまますっころんで、別の金魚屋さんに水入れてもらったり。
ただ、ちゃんとしたポンプとかを入れたりする知識がなかったので、すくった金魚も長生きはしませんでした。
今もまだ長生きさせているよっ! という、素敵な方はともかくとして、私と同じような経験をされた方は、金魚をその後どうしましたか?
私はお絵かき帳に、淋しくないように他の金魚さんの絵を描いて、その紙にくるんで、庭に埋めていました。
この好意を1度か、2度しかやった覚えがないので、多分金魚すくいそのものも、そのくらいの回数しかしてないと思うのですが。
その後は、あまりに金魚が可哀想なので、スーパーボールすくいか、ヨーヨー釣り専門です。
ところで、ある方がカナダで情操教育の一環かなにかで、「日本では金魚は埋葬する」=「命の大切さ、儚さに触れる」という論理で講演をされたそうです。
動物を飼うことで、命の尊さを学ぶ……というのは、一面では正しいと思います。
親が、阿呆で捨てたり、放置したりしてなければ、ね。
ところが、会場はぽかーん……。
あまりの反応のおかしさに、その方は聞いてみたそうです。
「カナダではどのようにするのか」と。
すると、なんと答えは……。
「トイレに流す」Σ(゜◇゜;) ゲッ
なのだそうですよ。
だから、何故日本人が金魚などをきちんと手厚く埋葬するのかが理解できなかったのだそうです。
(恐らく、その会場の大部分の方が。一部の方はわかったんじゃないかな、当たり前ですけど)
でも、カナダの人たちだって、犬や猫は、ちゃんとペット霊園みたいなところに埋葬したりするんじゃないの? って思うのです。
魚類は、別ってことなんでしょうか。
でも、少なくとも食べるために釣ってきたわけでもなく、飼おうと思って買ってきたんですよね? と思うと、魚類が除外される理由がわかりません。
とはいえ、トイレに流しちゃうっていう発想があるからこそ、下水道からワニが出たっ! とかいうニュースが聞かれるのかな……って、思わず納得してしまいました。
魚類だろうと、鳥類だろうと、ほ乳類だろうと、命はおんなじ。
一個しかないのです。
自分の都合で、その寿命を定めてしまったのなら、そこに感謝と哀悼の意をもって、丁寧に遇するのが筋なんじゃないのかな〜って思うんですけどね。

